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ゲーム体験を現実に持ち込んでしまう奇妙な現象「ゲーム転移現象(GTP)」 [★家庭用ゲーム]
英国のノッティンガム・トレント大学とスウェーデンのストックホルム大学の研究者が、15〜21歳のゲーマー42人を対象に行った予備調査によると、ゲーマーの中には熱中するあまり、現実世界にゲーム体験をもちこんでしまう人がいるのだという。研究者たちはこの奇妙な現象を「ゲーム転移現象(GTP)」と呼んでいる。
極端な例を挙げると、「人混みの中で目当ての人物を探すときに、サーチボタンを押したくなってしまう」「人の頭上にエネルギーバーが見える」「コントローラが手元にないのにボタンを押したくなる」「考え事をするときにトピックのメニューが頭の中に浮かぶ」といった具合。
さっそく英国の新聞“The Metro”は「ゲーマーは現実とファンタジーの区別がつかない」と煽り記事を掲載したようだが、研究者は「そんなことは一言も口にしていない。論文の主旨をねじ曲げる記事だ」と、同紙を強く非難している。
斜体は以下より引用&ソース記事はこちら。
http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2011092201/
これ、よくよく考えれば誰でもあることで煽り記事は偏見に満ちてるなぁと思います。
例えば、遅刻しそうなときに「どこでもドア(ドラえもん)」があればいいな…と思うのは誰でも考えそうなこと。それと同じようなことだよね?
自分が好きな空想世界が現実だったら…と妄想するのは普通のこと。
むしろ、それがなかったらつまらない人生だと思う。
それがゲームだったり、マンガだったり…そういう新しい娯楽は批判の対象に遭いやすいが、これがダメなら従来からあるものだって、小説や映画を現実に当てはめた妄想をするだけで現実との区別が付かないことになりかねない。
それに娯楽じゃなくても、何か凝ってるものがあれば…例えば歴史が好きな人が史跡を訪れたらその時代の街並みを想像したり、現代に重ね合わせてどうなってるか…とか考えるよね。
それと同じじゃないのかなぁ?
ただ、ゲームは一人称視点の主人公=自分となっているものがとても多く、現実との置き換えられる場面が多いが、それ以外の娯楽・空想は主人公は自分ではない誰かなのだから置き換えて妄想できる場面が限られてるってことなんじゃないのかなぁ。
それに、記事では"極端な例"として非現実的なことを現実に持ち込んだ例を挙げ、一方でほぼ全員が何らかのGTPを経験してるとして、読んだ人は「ゲーマーのほぼ全員が極端な例を経験してる」のではないかとミスリードを誘えますし、煽り記事もそういう論調なんだろうな…。
そういう意味では、"ネタ"として意図的に妄想するのかと、「気付いたら考えていた」というように意識していないのに思い浮かぶのでは変わってくるかもしれないです。
記事でも、そういう空想の経験はほとんどの人が経験してるものの"程度の差"はあるとのこと。
こちらは今後より多くのサンプルで研究されるようですが。
ところで、現実世界とは重ね合わせないけど…何もしていないと脳内でゲームが始まる現象はこれに当てはまるんでしょうかね?
私はとてもハマるゲームがあると、ぼーっとしてるときに勝手に脳内でゲームを始めます。
パズルゲームだったら、適当にピースが落ちてきてどこにどう積もうか…とか。
FPSだったら勝手に仮想敵が飛び出してきたり。
いかなるときも暇があればシミュレート訓練してるんですよね。。。
目開いてるので現実世界も透けて見えるけど、こういうのも入るのだろうか。。。
これだって、ゲームで考えると「なにこの空想気持ち悪い」とか思われそうですが、例えば好きな音楽とかヘビーローテーションで聴きまくってるうちに何もしてないときに脳内で音楽が流れたりするのと同じだし、最悪行動に出てる「鼻歌」の方が重度と言えるかも。
結局は、煽り記事とかはよくわからないものに対する拒絶反応なんだろうなぁ…。
極端な例を挙げると、「人混みの中で目当ての人物を探すときに、サーチボタンを押したくなってしまう」「人の頭上にエネルギーバーが見える」「コントローラが手元にないのにボタンを押したくなる」「考え事をするときにトピックのメニューが頭の中に浮かぶ」といった具合。
さっそく英国の新聞“The Metro”は「ゲーマーは現実とファンタジーの区別がつかない」と煽り記事を掲載したようだが、研究者は「そんなことは一言も口にしていない。論文の主旨をねじ曲げる記事だ」と、同紙を強く非難している。
斜体は以下より引用&ソース記事はこちら。
http://www.gpara.com/kaigainews/eanda/2011092201/
これ、よくよく考えれば誰でもあることで煽り記事は偏見に満ちてるなぁと思います。
例えば、遅刻しそうなときに「どこでもドア(ドラえもん)」があればいいな…と思うのは誰でも考えそうなこと。それと同じようなことだよね?
自分が好きな空想世界が現実だったら…と妄想するのは普通のこと。
むしろ、それがなかったらつまらない人生だと思う。
それがゲームだったり、マンガだったり…そういう新しい娯楽は批判の対象に遭いやすいが、これがダメなら従来からあるものだって、小説や映画を現実に当てはめた妄想をするだけで現実との区別が付かないことになりかねない。
それに娯楽じゃなくても、何か凝ってるものがあれば…例えば歴史が好きな人が史跡を訪れたらその時代の街並みを想像したり、現代に重ね合わせてどうなってるか…とか考えるよね。
それと同じじゃないのかなぁ?
ただ、ゲームは一人称視点の主人公=自分となっているものがとても多く、現実との置き換えられる場面が多いが、それ以外の娯楽・空想は主人公は自分ではない誰かなのだから置き換えて妄想できる場面が限られてるってことなんじゃないのかなぁ。
それに、記事では"極端な例"として非現実的なことを現実に持ち込んだ例を挙げ、一方でほぼ全員が何らかのGTPを経験してるとして、読んだ人は「ゲーマーのほぼ全員が極端な例を経験してる」のではないかとミスリードを誘えますし、煽り記事もそういう論調なんだろうな…。
そういう意味では、"ネタ"として意図的に妄想するのかと、「気付いたら考えていた」というように意識していないのに思い浮かぶのでは変わってくるかもしれないです。
記事でも、そういう空想の経験はほとんどの人が経験してるものの"程度の差"はあるとのこと。
こちらは今後より多くのサンプルで研究されるようですが。
ところで、現実世界とは重ね合わせないけど…何もしていないと脳内でゲームが始まる現象はこれに当てはまるんでしょうかね?
私はとてもハマるゲームがあると、ぼーっとしてるときに勝手に脳内でゲームを始めます。
パズルゲームだったら、適当にピースが落ちてきてどこにどう積もうか…とか。
FPSだったら勝手に仮想敵が飛び出してきたり。
いかなるときも暇があればシミュレート訓練してるんですよね。。。
目開いてるので現実世界も透けて見えるけど、こういうのも入るのだろうか。。。
これだって、ゲームで考えると「なにこの空想気持ち悪い」とか思われそうですが、例えば好きな音楽とかヘビーローテーションで聴きまくってるうちに何もしてないときに脳内で音楽が流れたりするのと同じだし、最悪行動に出てる「鼻歌」の方が重度と言えるかも。
結局は、煽り記事とかはよくわからないものに対する拒絶反応なんだろうなぁ…。
ゲームばっかりしてなさい。-12歳の息子を育ててくれたゲームたち-
- 作者: 浜村 弘一
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2007/09/20
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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